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●湘南を造る事を夢見て

もともと大した学歴も無い、世間で言われるヤンキー兄ちゃんだった。

夜な夜なバイクで走り回り、せっかく入った学校もサボって、バイクで遊び回る毎日をただ過ごして来た。

ただ一つだけ、今でも変わらない事と言えば、湘南独特の海岸線が好きという事。

そんなある日、自分の中で異変が起こった。

それはいつものようにR134号線をバイクで通りかかった鎌倉での出来事。

立派な柱や梁を使い、大工さんが海を望むための2F建てウッドデッキを力強く組み込んでいるその姿見て『俺がやりたい職業はこれだっ!』こんな思い込みで建築の世界に入り込む事になった。

当時、飲食店勤めをしていた私は求人情報を求め職業安定所へ行き、一つだけ見習い大工を募集している会社が見つかった。

さっそく面接に行き、採用をしてもらう事になった。

当時の給料は安く、月額にして7万円程の給料。それでも頑張って『仕事を早く覚える事が出来れば、収入も増えていくだろう』そんな事を考えながら見習いの大工として、朝7;00から夜の10:00頃まで毎日一生懸命働いた。

大工の見習いというのは、いきなり仕事をさせてもらえる訳ではない。

現場管理と称して雑用か、ただの使いっぱしりがこの会社で見習いの仕事とされていた。会社には還暦を過ぎた我の強いわがままな棟梁が4人、働き盛りの40代、50代の棟梁を合わせると10人以上の先輩職人さんがいた。
これだけの職人さんを抱える会社の 雑用を一人で担当しなければならないのだから、とにかく大変なのである。

なかでも一番困った事が還暦過ぎの棟梁達からの指導。。。
それぞれ言う事が全く違うのだ。

Aさんは『ここのおさめ方はこのようにする』

そう言われ、それが良いのだと仕事をすれば、今度はBさんから『そんなやり方では駄目だ!こうやってやれ!』となじられた。

そしてBさんの言われた通りに仕事をすれば、今度はCさんに『そんなやり方は仕事ではない!』と言われる始末。。。

理不尽で根拠の無い指導に『これが当たり前の修行なのだから仕方無い。』

そう思いながらも仕事を覚える(盗む)ために人よりも早く現場へ行き、本当に良いと思える仕事だけをノートに書き写して覚える事にした。



●勤めていた会社の倒産

数年後、勤めていた会社の社長から倒産するという話を聞いた。抱えていた職人さんや協力会社さん達がわがままの言いたい放題で、会社の予算に合わそうとしなかった事が主な原因だった。

私の指導についても、あれだけまとまりがない職人達の集まりではなるべき結果だったのであろう。

私はその時こう思った。

『家を造れるだけではだめだ!建て主さんに喜んでもらいながら、会社も成長出来るとして仕組みが出来ていないと。。』

こうして私は再就職する為に次の会社を探す事になった。けれども私が覚えたかったのは現場監督の仕事では無い。。。『棟梁として一人前の職人のなりたいんだ!』という事を想い返し、建設会社はではなく、大工工事専門の工務店に就職をする事に決めた。

今度の会社では、職人としての仕事をたくさんやらせてもらえた。親方の考えは『やらなきゃいつまでたっても出来ねーだろ!?』そんな考えを持つ親方の下で、仕事を覚えたい一心だった私はがむしゃらに頑張った。

親方の会社は当時3つ程の元請け会社から仕事を貰っていたのだが、入社1年半程で地域 NO1と言われる○○○ホーム(高級注文住宅専門だったので、ちょっと高い。。)の現場を担当する事になった。

まだ20代前半でもあり、茶髪に派手な作業着。。。

今を思うと、元請け会社のお客さん達はさぞかし不安だった事だろう。。。『こんな若い職人さんで大丈夫なのかしら?』と。

建築途中に建て主さんは電信柱に陰を潜めながら、現場の進み具合を見に来る方も居た。

それでも仕事だけはきっちりとした納め方や、お客さんが入居後楽しそうに笑ってくれる事を想像しながら、心を込めて大工仕事を進めていった。

無事引き渡しを終え、入居後に取り付ける予定だった階段手すりを現場監督さんと取り付けに行った時の事。手すりを取り付け終わり、確認をして頂くときにお客さんからありがたい一言を頂けた。

『工事の初めの頃はこんな若い子で大丈夫かしらとも思ったけれども、毎晩毎晩遅くまでがんばって、ここまで綺麗に仕上げてくれて本当にありがとう。同じ家でも、職人さんによってここまで違うのね♪』

目頭が熱くなるほど、私にとってうれしい一言だった。

あとで監督さんから聞いた話では、大工が居ないであろうという時間に建て主さんは現場を見に来ていたらしい。

ただ仕事を覚えたいという気持ちから『お客さんの顔が見える家を造りたい』そう、思える様になっていった。

職人というのはお客さんの喜ぶ顔が見れると、なんだか気分も晴れやかになり、やりがいも感じる生き物だ。

そして自分が手がける現場というのはとても愛着がわいた。
『他の職人さん達よりも、キレイな仕上がりにする!その為にはまず現場がキレイでないと駄目だ!』
こうして 現場の清掃も一日に最低5回、木材や壁材を加工する機械も自分で購入し、ゴミが出ない機械を揃えて作業に望んだ。そして少しでもホコリや木屑がでるとちょこちょこ掃除をする様に徹底していた。

これも『家を建ててくれるお客さんが居るから、私も存在できるんだ。』と、思える様になったからだ。



●修行時代に最初で最後の挫折

がむしゃらに盆も正月もないような働きを自ら望んで行っていた為、人よりも早く仕事を覚える事が出来た。

もっとも、始めた年が同級の職人さん達よりも遅かったという事から、追いついたと言った方が当てはまるであろう。

大工仕事を覚える事が出来た後、また、一つの欲が沸いて来た。

下請けの大工としてではなく『独立して、お客さんが本当に建てたい家だけを造りたい』と。

大工仕事を修行した会社にはたくさんの弟弟子たちが居た。私が独立して会社から居なくなっても、弟弟子達が立派に引き継げるようにしなければ、親方に対して不誠実な退職方法となってしまう。
弟達も厳しかったかもしれないが、なんとか短期間の間で仕事を覚えてくれた。

親方に私の思いを伝え、退職の日程も決まった矢先に起こった、ある出来事。

3F建ての新築現場を勤め仕事最後の現場とさせて頂き、良い家を造るべく私は作業に専念していた時、3Fの床にかけてあった足場が外れて、私はあっという間に転落した。

『体中に激痛が走り、何が起こったのかさえ分からなかった。』

1時間程、うずくまった後病院に行き、医師から診断された結果は。。。

首の骨が折れて頸椎が数カ所破損するという凄まじい惨劇だった。

診療を受けた病院では対処できないと言われ、最新の設備が揃う大学病院で緊急の手術を受ける事になった。

医師からも手術の結果、後遺症と思われる右肩の痛みと、右腕のしびれが一生残ってしまうと宣告をされてしまったのだ。

これほどしびれがあり、感覚もない腕ではもう現場での仕事はあきらめなくてはいけない。

『俺はこんなところで挫折してしまうのか。。なんの為に今まで休みも無く頑張って来たんだ!』病院のベットで枕を濡らした事もあった。

けれでも、湘南のビルダーになる夢だけはあきらめる事が出来ない。ひたすらリハビリを続け、奇跡的に回復していった。

実は転落した時にほんの一瞬『体が宙を浮く』感じがした。

転落しているのに、誰かが衝撃を軽くしてくれた様に思えたんだ。私が24歳の時になくなった父、そして中学生の頃に亡くなった家具屋を営んでいたおじいさんの顔が浮かんだ。

『おまえはこんなところで死んではいけないよ。』そう思える体験だった。

おじいさんはこてこての家具職人でやたらとこだわりがあった為、仕事も忙しかったが、お金の面でもそれ以上に忙しくて資金の面でもとても大変だったという話を聞いた。

寝たきりの病院のベッドの上で私はおじいさんからのメッセージを聞いた。

『俺は職人として良いモノを造って来たけれど、家具屋を廃業しなくてはならない結果になった。お前は同じ過ちを犯してはいけないんだぞ!』

夢か幻かは分からなかった。でも、力強いメッセージを感じた。まさに生かされている事を痛感した出来事でもあり、人生最大の挫折であったであろう。



●夢を夢で終わらせない為に

転落事故から4ヶ月が経った後、現場に復帰する事が出来た。

親方には当初の予定通り退職させて頂き、自分のペースで仕事が出来るよう独立の道を選んだのだ。

会社勤めの頃の噂から、仕事を頼んでくれるお客さんが少しずつ増えていった。独立して一年後にはたくさんのお仕事を頂き、徐々に職人さんも増えていった。

当時はリフォームの現場がとても多く、築後20年〜30年の現場ばかりでした。

その中でも葉山エリアでは水回りの工事をしたり、雨漏りのお宅を修理したりと、床や外壁、内壁をはがす大改造的な仕事が殆ど。。。

この様なお宅では必ずと言って良いほど、基礎が下がってしまい(不同沈下)建物が変形したり、構造部分の土台が無くなっている(炭化していたり、腐ってなくなっていたりする)事で、家の加重に耐えられなくなり、外壁にクラックが入る。そして雨漏れはし放題という見るも無惨な状態だった。

そんな家に住んでいるお客さん達は、私達が位説明しない限り、その事に全く気づいていない。

『住宅ローンも払い終わらない、20〜30年程度でここまで痛む家は造ってはいけない』

私はそう思った。

下がらない基礎を作る。そして、土台や構造材は湿気やシロアリに強い木材を使おう。

『湘南の家を造り、そこに暮らす家族が幸せに暮らせる為には。。。』ただ、それだけを考えて、たくさんの材料を調べ上げた。

『レッドシダーではすぐに腐ってしまう。何かほかに良い木材は無いのだろうか』そして究極と言われる青森ヒバにたどり着いた。

青森ヒバは水や湿気に強く、葉山や逗子、鎌倉といった自然環境に必ず蔓延るシロアリにも強い。

『この木材が安く購入できる様になれば、痛みの少ない家が造る事が出来る!』

そうして、たくさんの木材業者を廻った。

湘南や横須賀、横浜、さらには東京の市場まで直接交渉を頼みにいった。

でも、価格はそれほど下がらない。

で、あればいっそ青森まで行ってしまえば。。。

そう思い、今度は青森まで仕入れの交渉に出向く事にした。

しかし、現実は甘くなかった。神奈川から来た、市場の取引き権も無い30そこそこの私に木材を卸してくれるところなど、どこにも無かった。

神奈川に戻り、少しでも私のネットワークに協力してもらい、ようやく一件だけ紹介してもらえる事になった。

私は有り金であった50万円を握りしめて、青森まで行き『これで買えるだけの青森ヒバを私に売ってください』と頼み込んだ。

50万円で購入できる青森ヒバなど、たいした量にはならない。けれど、そんな私をみて製材所の社長は『いいよ、そこまで真剣に建て主さんの事を考えているんなら、50万円分送ってあげるよ。その後の取引きもあんたを信用して注文分送る事を約束する!』

本当に嬉しかった。

これで、ようやく国産材をつかった自然素材の家を造る事が出来る。しかも圧倒的に価格を抑えた自然素材の家を。。。

張りつめていた糸が切れた様に、その日は夜行電車の中で泥の様に寝入った。

この頃、私はストックヤード兼作業場、そして事務所も併設する2F建ての『ほったて小屋』を建てた。

それからは定期的に青森から材料を送ってもらい、国産の優れた木材を仕入れて、新築やリフォームの家造りに励んだ。



●子育て世代の現実を知る

ちょうどこの頃、雑誌に掲載された事もあり、たくさんのお客さんから『うちの家を造ってください!』と依頼が殺到した。

『よし、これか忙しくなるぞ!』そう思ったのもつかの間、現実的な予算の壁にぶつかった。

湘南エリアの土地は高い。殆どの土地は一区画2000万円からというのが相場だった。

サラリーマンの年収で住宅ローンを考えると、建築費は1000万円台前半で造れなければ家が建たないのだった。

私の造った青森ヒバの家でも、今までの工事価格を平均すると2000万円はかかる。

また、私の前に壁が立ち上がったのだった。

『ここであきらめてはいけない。もう一度一から徹底的に工事価格を見直すんだ!安くても圧倒的に良い家を造ろう!!』

こうして更なるコストダウンを追求していった。

工事価格の見直しには多大な時間がかかった。不透明だった業界の単価を一から見直さなければならない為だ。

しかし、ただ安い工賃で職人さんを働かせれば、彼らも生活が出来ない。

建て主さんからは『良い家を造ってもらえて良かった!』と喜んでもらい、職人さんにも『建て主さんの為に良い家を造ろう!』喜んで仕事ができる環境を造らない事には話は前には進まない。

そこで私は、ストップウォッチを片手に現場へ出向く様になった。

それぞれの職種にかかる手間を正確に測り、単価の見直しをする事にした。

もちろん何千項目もある工事種別の単価をばらさなければならないのだから、並大抵の事ではない。

日中は現場での計測、そして仕入れをするメーカーとの交渉。夜はほとんど寝ずの状態で、ほったて小屋の中で計測データを入力する日々だった。


●安くても良い家の完成が見えた

ようやく工房らしいローコスト住宅のプランが完成した。

販売価格の面ではローコスト。

でも、造りは圧倒的に強くて丈夫な家。

もちろんコストダウンを行うために、何でもかんでも安普請な材料を使っている訳ではない。

自然素材の家を造るビルダーがローコスト化する以上、建て売り住宅にみられる安普請な家は造れない。

いや、造ってはいけないのだという想いから徹底的に各業者さんに私の想い、そして建て主さんの想いを伝えてきた。

もちろんメーカ−さんや木材業者さんたちからは『こんな単価じゃぁ、いくらなんでも出せませんよ〜』と再三言われ続けて来た。

でも、そこは『今は大変かもしれないけれど、5年先を考えてみて欲しい。私の行いに賛同してくれるお客さん達が、必ず行列となってみんなの仕事を待ち望んでくれるようにしてみせるから!』

それこそ生まれてから35年間、一度もした事のなかった『土下座』で御願いをした。
安くて良い家を造れるのなら、自身のプライドなんて眼中には無かったのだ。

こうして柱も梁もオール4寸。

痛みやすい外壁だって12oなんて薄いモノは初めから採用せず、16oもある高性能な外壁にする事が出来た。

サッシだって、シングルガラスなんて使わない、オールペアガラスの暖かい家。

こうして子育て世代の家造りを応援するフェアプライスな住宅シンプルスが完成した。

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